呉市海事歴史科学館 大和ミュージアム見学記録


 2010年10月11日(月曜日)


 広島県呉市にある大和ミュージアムに行って来ました。
 館内には、呉海軍工廠で建造された戦艦大和の資料、呉で建造された艦船、明治時代から戦前・戦時中・戦後復興や高度経済成長期を経て現在に至るまでの呉市の歴史に関する資料などが展示されています。
 ここでは、戦艦大和や兵器類などを中心に撮影した写真を紹介します。
 館内では、三脚や一脚の使用、ストロボ撮影が禁止されています。
 ビデオモニターや遺品などの展示品の撮影も禁止されているので、掲載した写真は限定されたものだということを断っておきます。

 大和ミュージアムの概要については、ホームページが開設されているので、参考にして下さい。
   http://www.yamato-museum.com/
館内に展示された戦艦大和の10分の1スケールの模型です。 
 戦艦大和について

 戦艦「大和」は、昭和16(1941)年12月、呉海軍工廠(海軍直轄の工場)で、当時の最先端技術の集大成でありながら極秘裏に建造された世界最大の戦艦です。
 昭和20年4月7日、沖縄特攻作戦に向かう途上、米艦載機の攻撃を受け沈没、乗員3,332名のうち3,056名が大和と運命を共にしました。
「大和」の経歴
昭和12年11月4日 広島県呉市の呉海軍工廠の第4ドックで起工
昭和15年8月8日 進水
昭和16年12月16日 就役
昭和20年4月6日 沖縄に向けて出撃
昭和20年4月7日 沈没
昭和20年8月31日 除籍
「大和」の要目
基準排水量 65,000t
全長 263m
全幅 38,9m
主機械 15万3,553馬力(軸数4)
最大速度 27.46ノット
乗員(最終時) 3,332名
兵装(最終時) 3連装45口径46cm砲 3基
3連装60口径15.5cm砲 2基
  40口径12.7cm連装高角砲 12基
  25mm3連装機銃 52基
  25mm単装機銃 6基
  13mm連装機銃 2基

 呉駅から大和ミュージアムまでの間には、直通の歩道橋があるので、案内板に従って歩いて行きます。
 途中で「てつのくじら館」の潜水艦「あきしお」が目に映ります。
 屋外にも展示物があります。
 入場口近くに展示された戦艦「陸奥」の41cm砲です。
 戦艦「陸奥」のスクリューです。
 「陸奥」は、1943年6月8日、広島湾沖で原因不明の爆発事故により沈没しており、そこから回収された実物です。
 大和ミュージアムは開館5周年ということです。
 余談ですが、このHPも先月で5周年を迎えました。(^^;)
 館内に入ると、最初に戦艦「大和」の10分の1の模型が展示されています。  建物南側はガラス張りで明るいのですが、逆光になるため、写真撮影は難しいです。
 10分の1スケールでも、全長は 26.3メートルにもなります。
 目の当たりにすると、その大きさを実感できます。
 大和広場は3階まで吹き抜けになっています。
 艦底部と1階から3階までの高さから立体的に見ることができます。
 この模型は、当時の設計図や写真、潜水調査などの最新の情報に基づいて再現されているそうです。  大和の主兵装「45口径46cm砲」です。
 艦船に搭載された主砲としては、歴史上最大で、重量1,460kgの砲弾を最大射程42,000m先に着弾させます。
 細かい部分まで再現されています。
 25mm機銃の操作員なども確認できます。
 舷側一面に装備された対空兵装です。
 映画「男たちのYAMATO」の撮影にも使用されています。  改装後の大和の対空兵装は、40口径12.7cm連装高角砲 12基、25mm3連装機銃 52基、25mm単装機銃 6基、13mm連装機銃 2基に増強されました。
 カタパルト付近の様子です。
 工場の一部のようです。
 幅広の艦底部は迫力があります。
 戦艦「大和」型の主砲塔模型(縮尺50分の1)です。
 最大装甲厚は 650mm、砲塔旋回部の合計重量は 2,510tもあります。
 「大和」型の探索灯に使用されていた反射鏡です。
 予備として現存していた実物です。
 現在の技術をもってしても、高精度の放物面鏡の製造は困難とされています。
 戦艦大和進水記念の湯呑(実物)です。
 機密保持のために配布が禁止され、ほとんどが廃棄処分されたいうことです。
 菊水作戦で、連合艦隊司令長官から発せられた決別電報の複製品です。
 海底に沈んだ大和の調査結果を展示しています。   海底から引き揚げられた大和の遺品の一部です。
 戦艦「金剛」に搭載されたヤーロー式ボイラーです。
 大正2年の竣工時には、36器が搭載されていました。
 当時の艦船の主機は、石炭を燃料とした蒸気タービンでした。
 驚くべきことに、展示品は改装時に取り外された実物のようです。
 就航時の戦艦「金剛」の模型です。
 こちらは改装後の「金剛」です。
 来館者が多かったため、この角度で全景を撮影するのが精一杯でした。
 航空母艦「赤城」です。
 改装後の模型です。
 呉で建造された艦船の模型が展示されています。
 写真上 : 伊号第16潜水艦
 写真下 : 伊号第52潜水艦
 写真上 : 伊号第37潜水艦
 写真下 : 伊号第400潜水艦
 航空巡洋艦に改装後の「最上」です。  艦船模型は数多く展示されています。
 航空機模型も展示されています。  局地戦闘機「紫電改」です。
 局地戦闘機「秋水」のロケットエンジンノズルです。
 秋水は、ドイツからの技術供与によって、開発が進められたロケットエンジン搭載の戦闘機です。
 航空戦艦「日向」の軍艦旗です。
 昭和20年7月24日の呉軍港空襲時に、後部艦橋に掲揚されていたもので、所々に血痕が付着しているということです。
 左側 : 駆逐艦「楓」の軍艦旗
 右側 : 呉の風景絵葉書
 当時の呉の歴史を紹介する資料です。
 戦時中の呉市を再現した立体ディスプレイです。
 赤色の矢印で示したのは「大和」ですが、港湾施設や他の艦艇と比較しても非常に大きいです。
 大型資料展示室に展示された特攻兵器「回天」十型(試作型)です。
 逆光のため、暗い写真になってしまいました。
 特殊潜行艇「海竜」(後期量産型)です。
 海底から引き上げて修復した実物です。
 海竜は2人乗りの小型潜水艦です。
 回天のように特攻兵器として使用することが計画されていました。
 零式艦上戦闘機の最後の量産型である六二型です。
 終戦間際の昭和20年8月6日、琵琶湖に不時着水した機体を引き上げて修復したものです。
 国内に現存する数少ない実物です。  零式六二型の発動機「栄三一甲型」です。
 零式六二型の兵装です。
 手前は三式13ミリ機銃、奥側は九九式三号四型20ミリ機銃です。 
 四式対爆照準器です。
 零式六二型は、初期の艦上爆撃機と同等となる250kg爆弾1発を搭載できました。
 2階テラスからは、てつのくじら館の潜水艦「あきしお」の全景を見ることができます。  こんなモノもありました。
 大和ミュージアム限定プリクラです。
 近くの立体駐車場に「男たちの大和 ロケセット展示場」の看板を見つけたので、見に行くことにしました。  展示場に置かれた戦艦大和の副砲 60口径15.5センチ三連装砲塔です。
 建物の中なので、非常に窮屈に感じます。
 映画でも活躍した25ミリ三連装機銃です。  こちらはシールド付き25ミリ三連装機銃です。
 40口径12.7センチ連装高角砲です。  細かな部分まで再現されているように見えます。
 大和の主砲 45口径46センチ砲と九一式徹甲弾です。
 主砲は1枚の写真には収まり切れません。
 ライフリングは省略されています。
 映画の撮影に使用された小道具類です。  映画では大和の厨房も再現されていました。
 セットとは言え、実際に炊飯が出来そうです。
 大和ミュージアム近くから見た瀬戸内海です。
 正面の江田島を望む。
 呉駅から大和ミュージーアムを結ぶ歩道橋からは、海上自衛隊呉教育隊の建物や艦艇が見えます。
呉教育隊の施設に停泊していた艦艇です。

 自宅から大和ミュージーアムまでは、直線距離で約800kmもあります。
 とても遠く、幾つもの交通機関の乗り継ぎが必要なので、交通費などの点から見に行くことはできないと諦めていましたが、好条件が重なって呉市まで足を運ぶことができました。
 館内には多くの資料が展示されていますが、説明文やビデオを細かに観察すれば、多くの時間を費やしてしまうので、旅行日程の制約から、深読みすることはできませんでした。
 大和ミュージアムは、兵器博物館でも平和記念資料館でもなく、海事歴史科学館との名称が使用されているとおり、呉市を中心とした歴史資料や船を造る科学技術の原理なども展示されています。
 兵器など展示品は、館内の展示品総数から占める割合は多くは無く、淡々と説明がされています。
 戦争や歴史的な思想を排除するための配慮と思いますが、現在にその姿を残す数少ない実物や遺品には、歴史の重みや悲壮感が伝わってきます。
 大和ミュージアムには、てつのくじら館が隣接している他にも、周辺には多くのミリタリースポットが点在しています。
 興味が持てたのであれば、広島付近の観光なども併せて旅行を計画をすれば、遠方からでも足を運ぶ価値は十分にあると思います。