記念艦「三笠」見学記録


 2011年1月9日(日曜日)


 神奈川県横須賀市にある記念艦「三笠」を見学してきました。
 三笠は、明治35年にイギリスで建造された戦艦で、日露戦争では、東郷平八郎司令長官が乗艦する連合艦隊の旗艦として活躍しました。
 明治38年の日本海海戦では、対馬沖において、ヨーロッパから派遣されたロシアのバルチック艦隊を海戦史上例を見ない圧倒的な勝利に大きく貢献しました。
 大正12年には現役を退き、大正15年に現在の地に記念艦として保存されていましたが、太平洋戦争後は、大砲、マスト、艦橋などが撤去され、見る影もなく荒れ果てました。
 その後、「三笠」を復元保存の声が内外で高まり、多くの人々からの募金、政府の予算、アメリカ海軍の支援により、昭和36年に現在の姿に復元されました。
 ここでの説明は、記念艦「三笠」に掲示されていた案内板などから一部を転載しました。

 記念艦「三笠」のホームページはこちらです。
    http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/
「三笠」の経歴
1898年(明治31年) 発注
1899年(明治32年) 起工
1902年(明治35年) 竣工・就役
1903年(明治36年) 連合艦隊旗艦
1904年(明治37年) 日露戦争に参加
1905年(明治38年) 日本海海戦でバルチック艦隊を撃破する。
1923年(大正12年) 除籍
1961年(昭和36年) 復元されて現在に至る。
2005年(平成17年) 日本海海戦100周年を迎える。
2011年(平成23年) 記念艦「三笠」復元50周年を迎える。
「三笠」の要目
基準排水量 15,140t
全長 122m
全幅 23m
軸馬力 15,000馬力
速力 18ノット
乗員 860名
兵装  30センチ砲4門
15センチ砲14門
8センチ砲20門
発射管 45センチ砲4基

左後方から見た記念館三笠の全景です。
 艦首方向からの三笠です。
 太陽が低いので、見難い写真になってしまいました。
 初期の戦艦なので、独特な形状をしています。
 人の大きさと比較しても、船体の大きさが感じられます。
 前部主砲付近です。
 日露戦争前に建造された戦艦とは言え、迫力があります。
 真横から全景を撮影することはできませんでした。  艦舷には多数の砲門が装備されています。
副砲は15cm砲14門、8cm砲10門が装備されています。
 副砲の8cm砲です。  左舷側後方から乗艦します。
 三笠の前には、東郷平八郎元帥の銅像があります。  この日は、銅像の塗装が行われていました。
 現在は、三笠の全面塗装工事が行われています。
 艦内には、長い廊下が伸びています。
 廊下の両側は、展示場が続きます。
 廊下には、写真が展示されています。
 当時の様子を伝える写真です。  中央展示室です。
 多くの資料が展示されています。
 三笠の模型です。  三笠に蛇輪です。
 現用の護衛艦と比較すると豪華な作りです。
 東郷元帥が着用していた軍服と軍靴などです。  三笠の艦首飾りで、就航当時の実物です。
 三笠の時鐘です。
 一部が被弾して破損しています。
 三笠には、当時世界最強と言われたドイツのクルップ社製の装甲鈑が使用されています。
 副砲の15cm砲です。  2番砲室です。
 15cm砲は10名の操作員を必要としました。
 艦首部分ですが、現在は講堂として使用されています。
 この日は、「日露戦争に見る武士道」と題した講話が行われていました。
 講堂には、護衛艦「くらま」の模型が展示されていました。
 司令長官公室です。  追悼室です。
 三笠の戦死殉職者の名が掲げられています。
 軍楽隊室です。  士官室です。
 アンティークな家具と剥き出しの鋼材の組み合わせが非日常的な雰囲気を感じさせます。
  
 三笠の主機についての説明です。
 主機は、ヴィッカース社製直立3気筒3連成住複動蒸気機関です。
 写真左 : 食器室
 写真右 : 長官浴室
 英国流のモダンなデザインです。
 甲板掃除に使うモップが、当時の雰囲気を引き立てています。  上甲板に装備された8cm砲です。
 口径の割に小型です。
 複製品ですが、手動で操作することができます。
 砲尾から見た状況です。
 光学機器などが装備されていないので、構造はシンプルです。
 日本海軍が使用した機械水雷の模型です。
 旅順港封鎖に使用されました。
 三笠の主砲弾、鍛鋼榴弾の模型です。
 重量400kg、射程距離10kmです。
 三笠の主砲 40口径30cm連装砲塔です。
 主砲は35cmの装甲に囲まれ、自重は50t、動力には水圧が用いられていました。  前部司令塔です。
 周囲は、35cmの装甲板で囲まれています。
 トーチカのようです。
 艦橋の上部には操舵室と海図室があります。  艦橋から艦前方を見た様子です。
 マストにはZ旗が掲げられています。  Z旗の説明です。
 石炭を燃料とするためなのか、煙突やダクトが大きく感じられます。  カッターです。
 現用装備としても通用しそうです。
 後部主砲の前方にも海図室があります。  60cm信号探照灯です。
 海図室上から艦後方の景観です。
 付近には高層住宅団地が広がります。
 後甲板です。
 日除けの天幕が張られています。

 三笠は明治35年に就航しています。
 大部分が復元されているものの、109年もの昔に建造された軍艦が、日露戦争と2度の大戦を越えて現存していることには驚かされます。
 世界に残っている最も古い甲鉄戦艦とされているようです。
 日本海海戦の活躍で名声を博する三笠も、この海戦では損害を受け、日露戦争後には弾薬庫の爆発事故が発生し、その後の関東大震災では進水着底しました。
 戦後は物資不足により荒廃が進み、現在の状態に復元されるまでには、様々な障害があったようです。
 近代日本は、1867年の大政奉還の後、富国強兵と殖産興業の政策を掲げ、工業の近代化による経済成長や、世界恐慌や敗戦などにより興廃を繰り返してきました。
 この度の東日本大震災によって、国内は各方面に渡って大きな被害を受けましたが、三笠は必ず震災の被害から再興できると示しているように思えます。