1 外観
予科練平和記念館は、茨城県の陸上自衛隊土浦駐屯地の南側にあります。
新しい施設なので、カーナビには登録されていませんでしたが、主要道路沿いにあるので、道に迷うことなく行くことができました。
建物は近代美術館のような外観で、整備の行き届いた公園と一帯になっています。
2 館内の様子
予科練の制服を象徴する七つボタンを元に、館内は7つのテーマにフロアが分かれています。
予科練習生を主体にした展示物が、フロアごとに時代の変遷とともに進行して行きます。
1人の少年が予科練を志願し、訓練を経て成長していく心情を汲み取って見ていけば、この記念館の意図を受け止めることができると思います。
館内の展示品は決して多くはないとは思いますが、所蔵品が展示されることがあるほか、様々なイベントも開催されています。
建物外観から受けるイメージとは異なり、館内は「白色」と「黒色」を基調としています。
フロアごとに黒と白の配分が異なり、フロアのイメージを作っているようです。
加えて、木製の床や机などが設置されたフロアや、青空が見えるロビーもあり、それぞれのフロアのテーマに合わせた変化を持たせています。
以下、7つの展示フロアのタイトルと内容を簡単に紹介します。
(1) 入隊 ~憧れと不安の交錯~
最初のフロアは、「入隊」と題しています。
予科練の入隊志望者や合格者の心情などが紹介されています。
海軍のエリートや飛行士を志した者や、貧しい農村世帯からの逃避を求めた者など、理由は様々だったようですが、厳しい選考試験から合格した心情が手紙などの資料で明らかにされています。
(2) 訓練 ~猛訓練と心身の成長~
予科練での訓練風景が紹介されています。
訓練風景を写した写真や、日課など説明などから、軍隊教育の厳しさが伝わってきます。
当時の教科書も展示されていますが、航空機の構造や陸戦なども教養科目に入っていました。
(3) 心情 ~少年たちの心の葛藤~
真っ白の空間の中に、壁に向かって椅子が並べられています。
机の前には、予科練生が書いた手紙や日記が並べられており、心情が綴られています。
その中には、将来の死を覚悟して、家族に宛てた遺書もありました。
(4) 飛翔 ~予科練から大空へ~
基礎教育を受けた後、それぞれの兵科に選別されます。
花形の戦闘機パイロットの道は、さらに狭き門のようでした。
興味深かったことは、操縦手の選考には易学が取り入れられていたことでした。
太平洋戦争の戦況などが劣勢に転じ、国内各所に次々と予科練施設が急造された経過も説明されています。
(5) 交流 ~予科練と阿見~
予科練生と阿見町の人々との交流を伝えています。
当時の阿見町の人々は、予科練生を暖かく迎えていたようです。
訓練では厳しい表情を崩さない予科練生ですが、牡丹餅が振る舞われている写真には、まだ幼い笑顔が写し出されており、それまでに展示されていた写真とは異なった印象を与えています。
当時の世情を伺わせる資料も展示されています。
(6) 窮迫 ~選局の変化~
このフロアは映像によって、戦況の悪化や阿見町の爆撃被害の状況などが説明されています。
壁に設置された大型モニター2台と天井に映される映像を組み合わせて構成しています。
予科練をはじめ、海軍施設が数多くあった霞ヶ浦周辺には、米軍の激しい空襲が襲いかかりました。
天井には多数の爆撃機が空襲する映像が映しだされ、モニターには爆撃の激しさや悲惨な状況を体験した人々が当時の体験を話しています。
(7) 特攻 ~戦時下の悲劇~
最後のフロアです。
当時のモノクロ映像を元に、予科練生の終焉が説明されます。
各方面で死闘を繰り広げた予科練出身の航空兵ですが、戦況の悪化によって、決して生きて帰れない「特攻」に命を擲つ状況が説明されています。
予科練出身者の特攻による戦死者は7割にも及ぶそうです。
映像は、米軍空母に目掛けて突進する特攻機が衝突する直前に映像が終了しますが、戦争の犠牲になった幼い予科練生を思うと涙を誘います。
3 その他
私が訪問した前日から「土門拳のまなざし -戦中・戦後と”幻”の写真」と題した写真家「土門拳」の企画展が開催されていました。
写真は、予科練の訓練風景から、戦後の復興や高度経済成長期にまでの30点に及びます。
館内展示は予科練生の特攻で終わりますが、多くの犠牲から復興に向かう世情も写し出されており、希望の光が感じられました。
写真には、「母のいない姉妹」、「両足のない人」と題した衝撃的なものもありました。
私は、この写真家のことは知りませんでしたが、昭和を代表するリアリズム写真家と紹介されており、有名な写真家のようです。
モノクロ写真は、美術絵画が伝えるような感動や衝撃を感じます。
この写真の中で目を引いたのは、「胎児で被曝した少年」でした。
昭和32年ころ、広島市原爆中央病院で撮影された写真で、ベッドに横になっている痩せた少年を家族が見守っています。
少年は、12歳くらいと推定されますが、この少年の死の二日前に撮影された写真のようです。
東日本大震災によって、福島原発の事故での放射能漏れの被害が心配されています。
写真は、広島の原爆投下による被害を伝えるものですが、放射能は胎児や幼児の体を蝕み、長い年月を経て死に至らしめる恐ろしさを感じました。
この企画展以外にも、館内には土門拳が撮影した多くの写真が展示されています。
4 終わりに
今回は写真が無いので、館内の様子を伝えきれていないことと、予科練平和記念館のホームページの説明との重複を避け、私が感じた印象を文章にしているので、施設側の意図とは異なる点があることを断っておきます。
館内の展示品や説明には、予科練を賛美するものは無く、連合軍や旧日本軍を非難するものもありませんでした。
ひめゆり平和祈念資料館や長崎原爆資料館で見られた、焼け焦げた死体などの凄惨な写真もありません。
展示品や当時の状況が淡々と説明されており、政治的・思想的に中立的表現を崩さず、差し障りの無い文面に徹することによって、予科練を取り巻く全体像が不鮮明に感じられました。
予科練入隊から訓練、私生活の様子を交え、劣勢に転じた戦況の変化、そして、予科練生に感情移入したところで、特攻による「死」によって館内の展示は終了します。
予科練出身者の戦死者は、19,000人にも上るそうです。
写真の中にあった幼い笑顔の予科練生の末路だと思うと、見学終了後には切ない気持ちで一杯になっていました。
ここでの主体は予科練の若者であり、戦争によって失われた多くの若者の犠牲を忘れない・繰り返さないとの主張によって、平和へのメッセージを伝えようとしていると思います。
国内各地には、幾つかの平和記念館などの施設があり、福岡県の「大刀洗平和記念館」には、「零式艦上戦闘機三二型」と「九七式戦闘機」、鹿児島県の「知覧特攻平和会館」には「疾風」、「飛燕」の実機が展示されているようですが、ここには兵器類の展示品はありません。
勝手な推測ですが、予科練が存在した阿見町周辺の人は別として、予科練について認識している人や、関心を持つ人は決して多いとは思えません。
万人向けの資料館では無いので、関心を持って展示品や説明に目を通していかなければ、つまらない物に感じかねないと思います。
館内の構成は工夫が凝らされ、解り易さにも配慮され、イベントも企画されており、ブログにも好感が持てます。
興味が持てるのであれば、周辺施設の見学や観光などと合わせて、足を運んでみてはいかがでしょうか。 |
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