松代象山地下壕見学記録


 2011年8月27日(土曜日)


 長野県長野市にある松代象山地下壕を見学してきました。
 松代象山地下壕は、大戦末期、本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに大本営や政府各省庁を長野県松代に移転する計画の下に構築されました。
 昭和19年11月に着工され、終戦までの9ヶ月間に、当時の金額で約2億円の巨費と延べ300万人の労働者が動員され、一日3交代徹夜で工事が進められました
 劣悪な食糧事情や旧式で危険な工法と人海戦術を強いられ、多くの犠牲者を出したと言われています。

 松代地下壕は、舞鶴山、皆神山、象山の3箇所に碁盤の目のように掘り抜かれ、総延長は10kmに及びます。
 全行程の約75%が完成した時点で終戦を迎え、工事は中止されました。
 松代象山地下壕は総延長約5,853mで、その一部の約500mの区間が一般公開されています。

 松代地下壕から少し離れたところにある舞鶴山には、天皇・宮内庁関連施設が使用する予定だった地下壕と建物が現存しています。
 現在、地下壕や建物の一部は、気象庁精密地震観測室が使用していますが、天皇御座所は建物の外側から室内を見ることができ、地下壕の一部も公開されています。

 長野市のホームページでは、松代象山地下壕を紹介しています。
    https://www.city.nagano.nagano.jp/soshiki/kankou/22100.html
 気象庁精密地震観測室のホームページでも紹介されています。
    http://www.grn.janis.or.jp/~matu-jma/

 道路が狭くて、解り難いので、地図で説明します。
 矢印1は松代象山地下壕、矢印2は舞鶴山大坑道入口、矢印3は仮皇居予定地を示します。
 これ以外にも、長野市周辺には広範囲に渡って地下壕の建設が進められていました。
 地下壕入口は住宅街の路地の奥にあります。
 最終入場時間は午後3時半になります。
 地下壕入口です。
 8月でしたが地下壕の中は肌寒く、湿度は高かったです。
 地下壕入口近くに設置された案内板です。
 20m間隔で20本の主坑、50m間隔で6本の連絡坑が掘削されており、その総延長は約5,853mにもなります。
 左右の写真は、同じ場所から撮影したものですが、左側はストロボを使用し、右側は未使用です。
 違う印象を受けますが、場所によって使い分けて撮影しました。
 分岐する横坑は封鎖されています。
 壕内には蝙蝠が住み着いていました。
 落盤事故防止のため、一部が鉄骨で補強されています。
 照明設備などが設置された以外は、当時のままに保存されています。
 硬い岩盤を掘り抜いています。
 一部は狭くなっていますが、工事設計図によれば、地下壕の断面は底長4.0m、頂高2.7mということです。
 左側と同じ場所で、フラッシュを使用しないで撮影しました。
 照明は設置されていますが、中は薄暗く、肉眼で見た目には、この写真の感じが近いと思います。
 天井には、抜けなくなった削岩機ロッドが残されたままになっています。  残されたままの状態の削岩機ロッドです。
 落盤の跡のようにも見えます。  中間付近に表示された案内図です。
 範囲地下壕の状況がわかります。
 赤色の部分が見学コースです。
 中間付近まで進んだところで、通路は左に折れます。
 地下壕が真っ直ぐに掘られていることがわかります。
 地下壕には、文字が書かれたところがあるようです。  判読できませんが、何を思い何を伝えようとしたのでしょうか?
 このフェンスの向こう側には、トロッコの枕木の跡が当時のままに残されていました。  労働者は、掘削した石屑を積んだ重いトロッコを押して、長い坑内を往復していたことが想像できます。
 トロッコ枕木の跡です。  天井には、地下壕を精巧な網の目状に掘削するための測点跡が残されています。
 天井の測点跡には、杭が刺さったままになっています。  ここが終点です。
 入口からこの場所までの距離は約500mになります。
 復路は歩いてきた通路を戻ることになります。
 象山地下壕から1.5km程のところには、舞鶴山大坑道入口があります。
 地震観測機器が設置されているため、中には入ることはできません。
 舞鶴山大坑道から300m程のところには、仮皇居として天皇皇后宮内庁関係施設が予定されていた建物があります。
 山間のため、建物全体を見渡すことはできません。
 天皇関係施設が予定されていた1号庁舎の外観です
 皇后関連施設が予定されていた2号庁舎です。
 現在は精密地震観測室として使用されています。
 建物内の一部が公開されています。
 2号庁舎から小坑道に通じる階段です。
 この先には、天皇・皇后地下施設が予定されていました。
 階段下には扉があり、その先には入ることができません。
 1号庁舎です。
 写真中央の部分には、天皇御座所が予定されていました。
 天井と壁は、1mの厚さがあるそうです。
 天皇御座所の西側部分です。
 戦後、襖で二間に仕切られたそうです。
 天皇御座所の東側部分です。

 平成23年度富士総合火力演習を見学する予定で休暇を取得していたのですが、肝心のチケット抽選に落選してしまい、善光寺参拝、軽井沢観光、防衛省見学などの旅行に変更して、松代象山地下壕にも立ち寄ることにしました。

 旧日本軍は、連合軍に多大な損害を強いることによって、有利な条件で講和を締結するため、大本営や政府関連施設を内陸深くの長野県に疎開して、本土決戦を決行する計画を建てていました。
 沖縄戦の戦没者は、日本人が軍人・民間人を合わせて約18万人、アメリカ軍が約1万2千人と言われていますが、戦争継続が長引いたとすれば、根こそぎ動員によって、少年や老人までもが絶望的な状況下で、特攻や玉砕を強いられ、沖縄戦を上回る予測すらできない犠牲者を出すことになったと思います。
 アメリカ軍は長崎に続く第3以降の原子爆弾の投下を計画していました。
 ソビエト軍は北海道に進攻することを計画しており、戦後の日本は朝鮮半島のように東西に分割統治された可能性もあります。
 ソビエト軍占領下での枢軸国では、民間人に対して残虐行為が行われており、犠牲者数も増すことになります。
 松代象山地下壕が使用されることがなかったことは、沖縄戦や広島・長崎の原爆投下を上回る悲劇が繰り返されず、不幸中の幸いだったと思います。