靖国神社参拝・遊就館見学記録


 2011年8月29日(月曜日)


 防衛省を見学した後、20年ぶりに靖国神社を参拝してきました。
 防衛省から靖国神社は、徒歩で30分くらいの距離にあります。

 靖国神社には「遊就館」をいう資料館があり、玄関ホールには「零式艦上戦闘機 五二型」、「八九式十五糎加農」、「九六式十五糎榴弾砲」、「C56型31号機関車」が展示されています。
 靖国神社のホームページでは、掲載内容の転載や取材、撮影は厳しく制限されていることが説明されています。
 遊就館は、玄関ホールのみが撮影を許されているので、その写真のみを掲載します。
 靖国神社や遊就館の詳細については、各ホームページを参考にして下さい。

 靖国神社のホームページは、こちらです。
    http://www.yasukuni.or.jp/index.html
 遊就館のホームページは、こちらです。
    http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/index.html

 時間に余裕があったので、遠回りをして第一鳥居から入りました。  第二鳥居と神門です。
 拝殿まで長い参道が伸びています。
 中門鳥居と拝殿です。
 この鳥居の前から右方向に進むと遊就館があります。
 遊就館本館です。   遊就館の入口付近です。
 1階は入場無料で、売店、飲食店が利用できます。


 遊就館の玄関ロビーに展示された「零式艦上戦闘機 五二型」です。
 ラバウルの旧日本海軍航空基地とヤップ島から発見された5機の機体から復元されたものです。
 零式艦上戦闘機二一型に搭載されていた九九式二十粍機銃です。  初期型のもので、60発入りのドラム型弾倉から給弾されます。
 写真左側 : 九六式十五糎榴弾砲
 写真右側 : 八九式十五糎加農
 九六式十五糎榴弾砲です。
 野戦重砲兵第一連隊第四中隊に所属していたもので、この部隊は沖縄戦で全弾撃ち尽くした後、玉砕しています。
 旧日本陸軍の重砲の主力として、太平洋戦争全期に渡って使用されました。
 八九式十五糎加農です。
 沖縄に配備された独立重砲兵第百大隊に所属していたもので、戦後に洞窟陣地内から発掘されました。
 口径 149.1mm、最大射程 18,100m、砲弾重量 40.2kg、発射速度 1~2発/分、良好な性能を備えていました。
 激戦を示す多くの損傷が残されています。  砲兵操典綱領の一文から
 「火砲ハ砲兵ノ生命ナリ・・・縦ヒ一門ノ火砲一名ノ砲手トナルトモ 尚毅然トシテ戦闘ヲ遂行スベシ」
 C56型31号機関車です。
 昭和11年に製造され、泰面鉄道の開通式に参加した車両です。
 戦後はタイ国有鉄道で使用され、昭和51年に引退するまで使用されていました。

 遊就館には、実物の「九七式中戦車」、艦上爆撃機「彗星」、特攻兵器「回天」なども展示されていますが、館内での写真撮影が禁止されているので、ここでは紹介することができません。
 靖国神社に関しての書籍や資料、記事は多く見られますが、一部には偏見的に批判しているものもあります。
 政治的・宗教的事項に及ぶ難解な長文の専門書を読んで、真意を理解するためには、歴史背景なども知る必要があり、簡単なことではありません。
 私が遊就館を見学した時には、節電のために、大広間でしか映画が上映されていませんでした。
 この映画は「私たちは忘れない―感謝と祈りと誇りを―」の約50分の作品ですが、この映像を観れば、靖国神社について知られなかった事実を解り易く知ることができると思います。