八甲田山雪中行軍遭難資料館見学記録 |
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資料館は、青森市内から比較的近い距離にあります。 資料館からは八甲田山連峰を望むことができます。 |
「八甲田山雪中行軍遭難資料館」は、平成16年7月に改築された新しい施設です。 | |
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館内は、当時の日本の情勢から行軍が行われることになった経緯、行軍の状況や装備品、捜索状況、その後の生存者など事故に関する一連の解説がされています。 | 初めに、遭難事故について解説したビデオ映像を見てから、館内を見学すると解り易いと思います。 | |
青森隊と弘前隊の雪中行軍の様子を再現した模型です。 八甲田山では、零下20℃を下回ったと見られています。 |
行李隊は、物資を積載した80kgのソリを4人で引きました。 ソリは平地を引く目的のもので、斜面では谷側に横滑りするため不向きでした。 この輸送手段は、行軍速度を著しく低下させ、悲劇に結びつく要因にもなりました。 |
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青森隊は露営するために、深さ約2.5mの壕を掘りましたが、天井を覆うことが出来ずに厳しい寒さに襲われました。 | 昼食に握飯、小食用にもちを持参しました。 握飯は石のように硬く凍りついて、ほとんど食べることができませんでした。 |
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凍傷を防ぐために、足の指に唐辛子を砕いたものを付け、油紙を巻いて水分の進入を防ぐ方法もありました。 弘前隊では、十分な対策が取られていました。 |
革靴の複製品です。 生存者は、「革靴を履いていた者は全部凍傷に冒されてしまった」と伝えています。 |
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外套や帽子、背嚢を着用することができます。 背嚢は小さくて軽く、装備品をあまり携行できません。 外套は重く、水分を吸収するとさらに重くなり、動き難くなったと思われます。 |
時系列に沿ったテーマごとにパネルで説明されているので、解り易くなっています。 写真のパネルは、後藤伍長が発見され、大規模な捜索隊が編成されるに至った状況を説明しています。 |
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僅かな生存者は、遭難の状況を後世に伝えています。 生存者の多くは凍傷によって、両手足の切断などの障害を負うことになりました。 |
捜索隊が使用した装備品です。 | |
数々の遺品が展示されています。 | イタリアミラノ市で発行された新聞に掲載された挿し絵です。 この事件は、海外でも関心が高かったことが伺えます。 |
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第五連隊が当時発行した遭難事件の記録や、雪中行軍遭難を伝える新聞記事などです。 | 同じ時期に第三十一連隊(弘前隊)の37名は、1人の犠牲者も出さずに、11泊12日を掛けて八甲田山周辺224kmを踏破しています。 | |
日露戦争時の資料も展示されています。 写真は戦闘解説図で、激戦地となった黒溝台付近の陣地配置状況が描かれています。 |
軍事全豹、野外要務令、陸海軍喇譜です。 | |
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墓地の中央には慰霊碑が建立されています。 写真左側 : 凍死軍人英霊碑 写真右側 : 明治天皇御製碑 |
多目的広場には、殉國英霊之塔が建立されています。 |
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