ストラテジック コマンド
プレイレポート



 今回は、ストラテジック コマンドのプレイレポートを紹介します。
 「STRATEGIC COMMAND 2」が、2006年4月に発売されました。
 本作品は日本語版が販売される見込みはなく、国内で英語版が入手できるようになるまでには、まだ時間もかかると思われます。
 また、取扱説明書はPDFファイルで161ページもあり、和訳してプレイするまでには大変な根気と時間が必要になります。
 今回は「SC2」の発売を記念して、1作目「ストラテジック コマンド」のプレイ状況を紹介します。

 今回のゲームではドイツ軍を選択し、キャンペーンゲームをプレイしました。
 ゲームの選択ルールは、難易度「普通」、主要国・中小国の参戦「ランダム」、索敵「なし」、ソビエト軍の焦土作戦「あり」、自由フランス軍「あり」、パルチザン「あり」、日ソ戦「なし」です。
 作戦立案の自由度が大きいのが、このゲームの優れた点であり、以下の方法は一例に過ぎません。
 また、何度もリロードしてやり直しているので、実際には、これだけ早期にゲームを終了することはできません。
 ゲームの進行状態は、架空戦記小説のように紹介してみましたが、ドイツの戦争責任を正当化する意図はありません。
1 プロローグ

 私の名は、ハインリッヒ・ロンメル。
 前世の世界ではドイツ国防軍将校で、エルヴィン・ロンメルと呼ばれていた。
 私は1944年、総統暗殺未遂事件に関与したとの容疑を掛けられ、報復を恐れて自決したはずだった。
 しかし、死んだはずの私は目が覚めると、そこは1915年7月、第一次世界大戦中の西部戦線の野戦病院だった。
 この世界は私が生まれ育った世界とは相違点があり、並行世界に転生したことを理解した。
 私は、この後に起きる悲惨な第二次世界大戦を回避し、ドイツ経済を立て直すため政治家に転身することを決意した。
 ドイツを救うためには、民主国家を建国する必要があり、私はドイツ民主自由党を結党し、ドイツ国民を導くために政治活動を行うべく立ち上がった。
 私は世界恐慌からドイツ経済を立て直し、政治家として国民からの支持を得るとドイツ首相に就任した。
 しかし、限定された軍事力しか保持しないドイツは、強大な軍事力を保有する列強国から不当な政治干渉を受ける結果となり、ドイツ国家の主権を守るために再軍備を宣言した。
 軍事力を保持すると、ドイツ経済の重荷となっているベルサイユ条約の天文学的な債務を破棄した。
 私は欧州の平和に向けて諸外国との和平交渉を進めたが、この時代は世界各国が軍拡競争に走り、戦争への歯車は止めることができなかった。
 さらにドイツを脅かす事態に直面することとなった。
 イギリス・フランス・ポーランドによる、ドイツ侵攻計画が準備されているとの報告を諜報部から受けたのである。
 この後世世界に真の平和なもたらすためには、強大な軍事国家となったアメリカ・イギリス帝国主義国家とソビエト社会主義国家の武装を解除し、世界に真の民主国家を構築しなくてはならない。
2 プレイ開始

(1) 第1ターン(1939.9.3)

 ドイツ政府は、イギリス・フランス・ポーランド政府に対して宣戦布告した。
 既に諜報部から連合国のドイツ侵攻計画が準備されていることを察知しており、連合国の侵攻開始前に先制攻撃を行うことが閣議決定された。
 強大な工業力を持つ連合国に勝利するためには、主要国を1国ずつ降伏させなくてはならない。
 ドイツは東西を包囲されており、包囲網を取り崩すべく、始めに連合国からポーランドを脱落させることが計画された。
 ポーランド国境に5個軍、3個軍団、2個装甲軍、2個航空団が作戦準備を完了しており、ポーランド侵攻作戦「白の場合」を発動した。
 国境付近のポーランド部隊は電撃作戦の前に壊滅し、ポーランド侵攻軍は首都ワルシャワ目前まで迫った。
 ワルシャワ陥落は目前となったため、一部の兵力を対フランス戦に備えてフランス国境に移動を開始した。
 大西洋で待機中のUボート艦隊は、通商破壊作戦を開始した。
 カナダ政府はイギリス政府と軍事同盟を締結し、ドイツ政府に宣戦布告した。

(2) 第2ターン(1939.10.1)

 首都ワルシャワを占領し、ポーランドは降伏した。
 開戦から1ヶ月でポーランドを攻略する計画だったが、若干の遅れが生じた。
 ソビエト軍はワルシャワ陥落が目前となると、突如ポーランドに侵攻してポーランド国土東側を武力併合した。
 フランス侵攻の作戦計画が決定された。
 作戦内容は、中立国オランダ、ベルギーには侵攻せず、ドイツ国境からマジノ戦要塞の中央を突破して最短路でパリに侵攻する。
 作戦準備として、マジノ線要塞中央部を弱体化すべく、1個軍団、1個航空団が限定的攻撃を行った。
 ワルシャワ攻略に参加しなかった部隊は、フランス国境に移動させ、損害を受けた部隊は補充をした。
 イギリス戦艦ロドネイ、空母カレイジャス、フランス戦艦リシュリュー、ダンケルクが船団護送に従事したため、通商破壊作戦に従事中のUボート艦隊は北上して待避した。
(3) 第3ターン(1939.10.29)

 フランス侵攻作戦の準備を進めるべく、東部戦線からフランス国境に部隊を移動させると共に、1個航空団を新設して兵力を増強した。
 マジノ線中央部に対する限定的攻撃は継続した。

(4) 第4ターン(1939.11.26)

 2個軍がフランス国境に移動途中であり、準備は完全に整っていない。
 しかし、フランス軍に時間を与えれば防戦準備が整い、フランス侵攻は難航すると予想される。
 フランス軍に時間的猶予を与えてならない。
 フランス侵攻作戦「黄の場合」を発動した。
 これまでの攻撃で、マジノ戦要塞中央の守備能力は弱体化している。
 2個軍と4個航空団の攻撃の前にマジノ線守備隊は壊滅し、2個装甲軍が突破に成功した。
(5) 第5ターン(1940.1.7)

 フランス軍は戦争準備が整っていないため、装甲軍は機動力を発揮し、首都パリ後方に回り込んで包囲することができた。
 来るべき英本土航空戦に向けて、1個航空団を新設して航空戦力を増強した。

(6) 第6ターン(1940.3.3)

 電撃作戦を駆使し、パリの早期占領に成功した。
 フランス政府は降伏し、ビシー政権が南フランスで独立した。
 ドイツ政府とイタリア政府は軍事経済協力条約を締結し、イタリア政府はイギリス政府に宣戦布告した。
(7) 第7ターン(1940.3.31)

 フランス降伏後、直ちにイギリス本土上陸作戦の準備を開始した。
 ブレスト及びボルドー付近に陸軍部隊を移動させるとともに、フランス戦で消耗した部隊の補充を行った。
 フランス北部に航空団を配転するとともに、新たに1個航空団を新設し、航空戦力を増強した。
 6個航空団に増強されたドイツ空軍が、イギリス本土上陸隊を支援する。
 上陸作戦支援のため、戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウ、Uボート艦隊がドイツ本国から出港した。
 上陸作戦に参加しない1個歩兵軍団は、対ソ戦に備えてソビエト国境に向けて移動を開始した。
 イタリア海軍は、イギリス地中海艦隊の驚異があるものの、来るべきアメリカ参戦に対応するべく、ジブラルタル海峡に向けて出港した。
 リビア派遣イタリア軍は、拠点防衛に徹して北アフリカでの攻勢は行わないことになった。
 イタリア国内の部隊は、来るべき対ソ戦に備えて、ソビエト国境に向けて移動を開始した。

(8) 第8ターン(1940.4.28)

 イギリス本土上陸作戦を成功させるためには、イギリス本土での制空権を掌握し、強大なイギリス艦隊を弱体化させなければならない。
 フランス北部に展開中の6個航空団が、イギリス本土の航空基地及び首都ロンドンに対して攻撃を開始した。
 「バトル・オブ・ブリテン」の始まりである。
 ルフトバッフェの活躍により、イギリス本土の航空戦力は壊滅状態に陥った。
 首都ロンドンにも激しい爆撃が加えられ、防衛態勢は弱体化した。
 しかし、イギリス艦隊の主力はスカパフローに停泊して健在であり、戦艦ヴァリアントがスペイン西部沿岸を北上中である。
 この状況下において、上陸作戦の実行すれば、上陸部隊に危険が及ぶことが懸念されたが、国力を有するイギリスに勝利するためには、早期に作戦を実行に移さねばならない。
 英本土上陸作戦「ゼーレーヴェ」が発動され、ルントシュテット元帥率いる第一次上陸隊に編成された3個軍、1個装甲軍がブレスト及びボルドー港湾から出港した。
 イギリス軍は上陸作戦を阻止すべく、戦艦フッドを派遣して上陸部隊が乗船した輸送船を攻撃した。
 この攻撃によって、上陸前の1個軍が損害を受けた。
 スカパフローに停泊中のイギリス戦艦レゾリューションは、オランダ沿岸を航行中のUボート艦隊を攻撃したが失敗に終わった。
 カナダ沿岸で船団護送に従事していた戦艦ロドネイが本国防衛に向かったため、待避中のUボート艦隊は通商破壊を再開した。
 イタリア潜水艦隊もジブラルタル周辺において、通商破壊を開始した。
 スペイン西部沿岸を北上していたイギリス戦艦ヴァリアントはジブラルタルに戻り、ジブラルタル沿岸で待機中のイタリア巡洋艦ヒューメと交戦した。
(9) 第9ターン(1940.5.26)

 第一次上陸隊がイギリス南部に上陸した。
 ドイツ空軍の航空支援と、ルントシュテット元帥の周到な作戦により、瞬く間にロンドンを占領した。
 イギリス政府は首都機能をマンチェスターに移し、国民に徹底抗戦を呼びかけている。
 第二次上陸隊2個軍団が、上陸準備を完了した。
 オランダ沿岸のイギリス戦艦レゾリューションは、Uボート艦隊と航空攻撃によって撃沈したが、Uボート艦隊も若干の損害を受けた。
 上陸部隊を攻撃した戦艦フッドに対して、航空攻撃によって反撃し、中破させた。
 ジブラルタルに停泊中のイギリス戦艦ヴァリアントは、イタリア戦艦カイオ・デュイリオと潜水艦隊の攻撃を受けて沈没したが、イタリア艦隊も損害を受けた。
 戦艦ヴァリアントとの交戦によって、損害を受けたイタリア巡洋艦ヒューメは、修理のためイタリア本国に向かった。
 イギリス陸軍は、ロンドン奪還に向けて進軍した。
 イギリス戦艦ロドネイが船団護送に復帰したため、Uボート艦隊は再び北上して待避した。
(10) 第10ターン(1940.6.16)

 イギリス軍は予備部隊を招集し、マンチェスターの防備を固めている。
 ドイツ軍は、イギリス軍掃討作戦「ハリケーン作戦」を発動した。
 急増されたイギリス部隊は練度が低く、航空支援を受けた電撃作戦の前に各個撃破されたが、自軍の損害も大きかった。
 反撃に現れたイギリス空母グローリアスを、航空攻撃によって大破させた。
 オランダ沿岸のUボート艦隊は、損害を修理するためキール軍港に向かった。
 戦艦シャルンホルストは、イギリス南西部で空母カレイジャスを砲撃して撃沈し、戦艦グナイゼナウは、航空攻撃の支援を受け、中破していた戦艦フッドを撃沈した。
 イギリス戦艦ロドネイは、再び本国に航路を変更したので、Uボート艦隊は通商破壊作戦を再開した。
 イギリス海軍司令部は、Uボート艦隊の対応に翻弄していると見られる。
 イタリア戦艦カイオ・デュイリオと潜水艦隊は、修理のためイタリア本国に向かった。

(11) 第11ターン(1940.6.30)

 イギリス侵攻軍の一部が、マンチェスター東部に迫った。
 第3次上陸隊の1個装甲軍がチャタム港から上陸した。
 マンチェスター南部の高地を守備するカナダ軍が激しく抵抗している。
 マンチェスター攻略に準備のため、3個航空団をイギリス南部に派遣した。
 イギリス軍の地中海艦隊、エジプト派遣軍は健在だが、イギリス降伏は時間の問題となったことから、リビア派遣イタリア軍は本土に撤収し、その後、ソビエト国境に配置されることになった。
 バルト三国政府はドイツ政府に対して、秘密裏に救援要請を申し出た。
 ソビエト軍はバルト三国を武力併合するべく、侵攻準備を進めている。
 ドイツ政府はバルト諸国を救援すべく、軍事介入の準備を進めることになった。
 一方で、スペイン・イタリア・ドイツとの間に欧州三国同盟が締結され、スペイン政府はイギリス政府に宣戦布告した。
 三国首脳会談では、秘密裏にソビエト侵攻作戦が協議され、イタリア・スペイン軍は、ドイツ南方軍集団に派遣されることになった。
(12) 第12ターン(1940.7.14)

 マンチェスターを占領し、イギリスは降伏したが、カナダに亡命政府を設立し交戦を訴えている。
 ソビエト軍は、バルト諸国侵攻の準備を整えた。
 強大な軍事力を誇るソビエト政府の横暴を放置すれば、欧州の赤化は避けられない。
 ソビエト軍の欧州侵攻の足掛かりを阻止すべく、ドイツ・イタリア・スペイン政府は、ソビエト政府に宣戦布告した。
 ソビエト侵攻作戦「クライン・バルバロッサ作戦」が発動された。
 この作戦は、ソビエト軍のバルト三国併合を阻止するための限定的な侵攻作戦であり、自軍の損害を最小限に抑えつつ、徐々に戦線を東方に押して行き、増援を待って本格的な侵攻を行う。
 ソビエト侵攻に準備できたのは、ボック元帥率いるドイツ2個軍、4個軍団、1個Uボート艦隊、バルボ空軍大臣が率いるイタリア1個軍、2個軍団に過ぎず、フランス派遣の1個航空団を東部戦線に転属させて戦力を増強した。
 フィンランド政府は、ドイツ政府の宣戦布告を支持し、ソビエトに割譲された国土を取り戻すべく、ソビエト政府に対して宣戦布告した。
 スペイン軍は、東部戦線に向けて移動を開始した。
 
(13) 第13ターン(1940.7.28)

 東部戦線は、作戦開始前から予想されていたことではあるが、限定的戦力では敵兵力を各個撃破したに過ぎず、侵攻速度は鈍い。
 戦況を打開するため、北方軍集団・中央軍集団の統括司令官に、知将マンシュタイン上級大将を任命した。
 イギリス本土に侵攻した部隊は、来るべきアメリカ本土侵攻の準備のため、イギリス本土において損害を補充と補給を進めた。
 通商破壊作戦に従事していたUボート艦隊は、長期間に渡って満足な補給も受けずに作戦を継続しており、フランス国内の海軍基地に寄港させることにした。

(14) 第14ターン(1940.8.11)

 戦線は徐々に押しつつあるが、戦線の穴を埋めて突破するだけの戦力は無い。
 バルト海では、Uボート艦隊がソビエト戦艦オクチャブルスカヤを大破させた。
 東部戦線には、バトル・オブ・ブリテンで活躍した精鋭ドイツ空軍が到着した。
(15) 第15ターン(1940.8.25)

 ドイツ空軍の地上攻撃は凄まじく、前線のソビエト軍部隊は壊滅し、ドイツ陸軍はミンスク、キエフ目前まで進撃した。
 バルト海では、Uボート艦隊がソビエト戦艦マラートを大破させた。
 イギリス本土から東部戦線に1個軍団を配転させた。
 イタリア軍は、オデッサに迫ることができた。
 ハリコフには知将ジューコフが登場し、祖国防衛隊の指揮を執ることになった。

(16) 第16ターン(1940.9.15)

 ミンスク、キエフ正面に配置されたソビエト軍を排除した。
 イタリア軍がオデッサを包囲したが、ソビエト黒海艦隊からの反撃を受けた。
 アメリカ本土侵攻作戦の計画が決定された。
 この作戦は、アメリカ本土侵攻前にカナダを占領し、連合国陣営から脱落させる。
 その後、カナダ国内に大規模な航空戦力を展開させ、アメリカ空軍を壊滅させて制空権を掌握すると共に、上陸部隊の支援を行う。
 カナダ・アメリカ侵攻隊は、東部戦線の戦況が思わしくないことから最小限の規模に限定し、ルントシュテット元帥率いる2個装甲軍、3個軍が編成された。
 ドイツ空軍は、東部戦線からカナダ国内に6個航空団を転用し、ドイツ・イタリア連合艦隊のドイツ2個艦隊、2個Uボート艦隊、イタリア4個艦隊、1個潜水艦隊がアメリカ本土上陸作戦を支援する。
 時間が経過すれば、アメリカは強大な工業力により、本土防衛の準備を整えてしまうため、早期に作戦実行が強行されることになった。
 上陸部隊は補給を行い作戦準備を進めた。

(17) 第17ターン(1940.10.13)

 兵力が不足しており、ミンスク、キエフ付近の戦線が膠着している。
 さらに1個軍団をイギリス本土から東部戦線に転属させた。
 イタリア軍がオデッサを占領に成功した。
 ソビエト黒海艦隊はイタリア軍の侵攻の障害となるため、無力化させるべく、航空攻撃を行った。
 バルト海派遣のUボート艦隊は、戦艦マラートを撃沈した。
 アメリカ本土上陸作戦の準備作戦である、カナダ侵攻作戦「赤の場合」が決行され、イギリス本土から上陸隊が出港した。
 ドイツ・イタリア艦隊は、来るべきアメリカ本土侵攻作戦を支援するため、大西洋中部に向けて出港した。


(18) 第18ターン(1940.11.10)

 ソビエト第3の都市キエフを占領した。
 バルト海では、Uボート艦隊が戦艦オクチャブルスカヤを撃沈した。
 この海戦によって、ソビエト海軍バルト艦隊は壊滅し、バルト海における制海権を掌握した。
 オデッサを占領したイタリア軍の主力は、南方からハリコフ攻略を支援することになった。
 セヴァストポリ要塞の攻略には損害が甚大になることが予想されることから、セヴァストポリ守備隊をクリミア半島に封じ込め、攻撃はしないことにした。
 ドイツ空軍は、秘密裏に開発を進めてきたジェット戦闘機Me262の実用化に成功し、量産を開始した。
(19) 第19ターン(1940.12.8)

 スペイン軍が東部戦線に到着した。
 ミンスクの占領に成功した。
 ミンスクの陥落によって、ソビエト軍はスモレンスク付近に後退し、新たな防衛線を展開した。
 ドイツ空軍は、ジューコフ軍司令部に爆撃を行い損害を与えた。
 ソビエト黒海艦隊は、修理が完了していない状態のまま出港し、イタリア軍を砲撃した。
 東部戦線に1個装甲軍を新設した。
 カナダ沿岸にカナダ上陸部隊が到着した。

(20) 第20ターン(1941.2.2)

 マンシュタイン上級大将が指揮する北方・中央軍集団は、可能な限りの戦力を集め、モスクワ侵攻作戦「タイフーン作戦」を開始した。
 ドイツ空軍は、目障りな黒海艦隊を撃沈した。
 東部戦線には、さらに1個装甲軍を新設した。
 カナダ上陸部隊はカナダ本土に上陸し、首都オタワの守備隊を壊滅させたものの、兵力が不足しており、占領するには至らなかった。
 カナダ上陸に危機感を抱いたアメリカ政府は、枢軸国陣営に対して宣戦布告した。
 中部大西洋では、アメリカ艦隊とイタリア艦隊の大規模な艦隊戦が行われた。
 後に、この海戦は「中部大西洋海戦」と呼ばれることになる。
 ドイツ空軍は、全翼型ジェット戦闘機Ho229の量産を開始した。
(21) 第21ターン(1941.3.16)

 スモレンスクを包囲した。
 ハリコフ周辺にはソビエト軍が集結している。
 カナダ侵攻軍は首都オタワを占領し、カナダ政府は降伏した。
 カナダ国内には仮設飛行場を急造し、航空団の派遣を開始した。
 イタリア艦隊、Uボート艦隊の攻撃によって、アメリカ大西洋艦隊は壊滅したが、イタリア艦隊も大きな損害を受けた。
 ドイツ戦艦シャルンホルスト、イタリア戦艦アンドレア・ドリアはニューヨーク及びポーツマス守備隊に対して艦砲射撃を開始した。
(22) 第22ターン(1941.4.13)

 モスクワへの要衝スモレンスクを占領した。
 カナダ本土に展開したドイツ空軍は、アメリカ空軍の航空基地を爆撃し、アメリカ空軍は壊滅した。
 この攻撃によって、アメリカ本土における制空権を掌握した。
 カナダ侵攻軍は、引き続いてアメリカ本土上陸作戦実行のためカナダから出港した。

(23) 第23ターン(1941.5.11)

 モスクワ周辺には、ソビエト軍が集結しており、防衛体制を整えている。
 ドイツ・イタリア・スペイン合同軍は、ハリコフに集結するソビエト軍を包囲した。
 ウラル山脈には、極東から転属された精強シベリア方面軍が到着した。
 アメリカ本土北部に、3個軍が上陸した。
 後に、この侵攻軍は「ドイツ・アメリカ軍集団」と命名されることになる。
 上陸部隊の攻撃でボストン守備隊を壊滅させたが、頑強な抵抗に遭い侵攻は阻まれた。
 作戦当初は、カナダ国内に6個航空団を派遣する予定だったが、東部戦線での戦力低下が懸念されたため、4個航空団に削減されることになった。
 ニューヨーク及びポーツマス守備隊に対して、戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウが砲撃した。
 
(24) 第24ターン(1941.6.8)

 モスクワ周辺には、シベリア方面軍が配備されたため、モスクワ攻略には戦力が不足している。
 フィンランド軍は度重なるレニングラード守備隊からの攻撃で疲弊しているため、レニングラードを占領した後、モスクワ正面に兵力を集めて攻略することになった。
 フィンランド軍はレニングラード守備隊に対して反撃に転じ、ドイツ軍の航空攻撃と装甲軍火力の前に、レニングラードは陥落した。
 ハリコフ付近では包囲網を狭めて、周辺を防衛するソビエト軍を殲滅した。

(25) 第25ターン(1941.6.22)

 ハリコフを占領した。
 レニングラード攻撃隊は、モスクワに向け転進した。
 ソビエト軍は、ヴォロネジまで戦線を後退し、防衛線を築いている。
 クリミア半島からは、ソビエト軍が北進し反撃を行った。
 ニューヨーク南部に1個装甲軍が上陸し、ニューヨーク守備隊に対して陸海空軍の共同攻撃を行った。
 この攻撃で、ニューヨーク守備隊は壊滅したが、戦力が不足しており、占領には至らなかった。
 アメリカ軍は、ドイツ軍部隊がニューヨークに突入する前に守備隊の配置に成功してしまった。
 ボストン守備隊は頑強に抵抗している。
 新型戦車W号F型の生産を開始した。
(26) 第26ターン(1941.7.6)

 1個装甲軍がモスクワ正面に迫った。
 東部戦線では、新設された部隊を逐次増援として投入しているが、ソビエト軍は強大な人的資源を投入し、兵力を編成して前線に送りだしてくるため、依然として戦力差が縮まらない。
 ソビエト軍は、モスクワ周辺の部隊をヴォロネジ、ロストフ方面の防衛に転進させるといった愚作を行ったため、モスクワ周辺の兵力は減少した。
 アメリカでは、ワシントンを部分包囲に成功した。
 当初の作戦計画では、ニューヨークを占領し、港湾施設を確保して補給線を確立した後、ワシントン占領を実行するはずだったが、早急にアメリカを降伏させ、東部戦線に戦力を転進させるため、ワシントン占領が急がれることになった。
 ワシントン北部からはルントシュテット元帥率いる3個軍、南方からは2個装甲軍、ケッセルリンク元帥率いるカナダ派遣4個航空団がワシントン侵攻に備えた。

(27) 第27ターン(1941.7.20)

 アメリカ本土最終決戦が行われた。
 首都ワシントン防衛隊に激しい空爆を加え、激戦の末、ワシントンを占領し、アメリカ政府は降伏した。
(28) 第28ターン(1941.8.3)

 モスクワ北方には守備隊が配置されておらず、北側から迂回してモスクワを包囲することにした。
 ソビエト軍はヴォロネジ周辺の防衛を強化している。
 イタリア軍がロストフ攻略を開始するが、戦力が劣り苦戦している。
 カナダ国内に展開していた航空団をスモレンスク周辺に配備させた。
 アメリカ侵攻軍は、損害の補充を行い、東部戦線に転進する準備を行った。
 アメリカの工業力を手中に収めたことから、生産力が大幅に増加した。

(29) 第29ターン(1941.8.17)

 首都モスクワを包囲した。
 損害の少ない1個軍、1個装甲軍は、ウラル山脈東部に疎開した工業施設を占領するため、進撃を続けた。
 ヴォロネジには2個軍団が迫った。
 イタリア軍は、ロストフ攻略が難航していることから、兵力の一部を迂回させて包囲することにした。
(30) 第30ターン(1941.8.31)

 モスクワには激しい爆撃と波状攻撃が加え、防衛体制は弱体化した。
 1個装甲軍がウラル山脈を越えた。
 スペイン軍の攻撃支援を受け、ヴォロネジ占領に成功した。
 新型戦車パンターG型の生産が開始された。

(31) 第31ターン(1941.9.21)

 モスクワ包囲部隊から、精鋭部隊を抽出し、ウラル方面攻略の増援として送った。
 ヴォロネジを攻略した部隊は、スターリングラード攻略に向かった。
 イタリア軍はロストフの包囲に成功した。
 新型重戦車ティーガーII型の生産が開始された。
 天候の悪化によりソビエト北部では道路が泥濘に呑まれた。
 侵攻速度が鈍り、補給物資が到着せず、損害を補充することもできない。
 ドイツ2個軍団がスターリングラードに達して、北部に配置する部隊を攻撃した。
 イタリア軍はロストフ攻略を開始した。

(32) 第32ターン(1941.10.19)

 首都モスクワを占領した。
 ソビエト政府は、首都機能をスターリングラードに移した。
 独裁者の名前が付いたこの都市を焦土化しても祖国防衛を行うことを宣言しており、徹底交戦の構えを見せている。
 モスクワ攻略部隊の一部を北進させ、ヴォログダを攻略し、ヴォログダ守備隊は壊滅した。
 ウラル方面では激しい戦闘が行われているが、補給路が滞っていることと、山岳地帯での戦闘のため、装甲軍は威力を発揮できない。
 ウラル山脈東部の工業都市スヴェルドロフスクを占領した。
 スターリングラード攻略作戦が開始された。
 アメリカ侵攻隊が東部戦線に到着した。
 イタリア軍は、ドイツ空軍の支援を受けてロストフを占領した。
(33) 第33ターン(1941.11.16)

 ヴォログダを占領し、ソビエト北部の兵力は排除された。
 ソビエト軍はスターリングラードに残存勢力を集中させており、アメリカ本土から転進させた部隊を投入した。
 ロストフを占領したイタリア軍は、ソビエト軍の戦争継続能力に打撃を与えるべく、バクー油田を目指して侵攻を開始した。

(34) 第34ターン(1941.12.14)

 ウラル山脈東部の工業都市スヴェルドロフスクを占領した。
 この戦闘によって、ウラル山脈東部に疎開した軍事工場は壊滅した。
 イタリア軍は、スタヴロポリに迫った。
 スターリングラードに対して猛爆撃を行い、瓦礫と化した都市は陥落した。
 ソビエト軍の指揮系統は混乱し、軍事生産力も激減しており、もはや戦争継続能力は無く、ソビエト政府は降伏勧告を受託した。
 開戦から2年3ヶ月、ソビエト降伏により、第二次世界大戦は終結した。
3 エピローグ

 軍事大国は降伏し、武装解除が進められた。
 占領国には民主政権が発足した。