陸上自衛隊 福島駐屯地創立58周年記念行事見学記録


 第2ページには、観閲式以降のイベントや展示品などを紹介します。
 74式戦車、軽装甲機動車、高機動車の体験搭乗が行われましたが、観閲式終了後には、体験搭乗発券所に長い列ができていました。
 観閲式終了後、ファンシードリルが披露されました。
 私も整理券を求めて列に並んだので、遠くから眺めることになりました。
 ファンシードリルのフィナーレは、空砲の発射とともに国旗を展開して終了しました。  発券所の前には、軽装甲機動車と高機動車が展示されていました。
 こちらは高機動車です。
 残念ながら、どちらも車内は公開されませんでした。
 74式戦車も展示されました。
 乗車体験が開始されるまでは、近くで見ることができました。
 74式戦車は車内が公開されていました。
 エンジンルーム上に登って、ハッチから砲塔内を見ることができました。
 12.7mm機関銃や工具箱などは取り外されています。  砲身には、熱による砲身の歪みを防ぐサーマルスリーブが装着されています。
 防盾と砲塔の間にはキャンバスが被せられています。
 7.62mm機関銃の発射口は塞がれています。
 鋳造装甲の粗面の状態が分かります。
 特殊な砂型鋳造によって製造されたものと思われます。
 微妙な曲線の組み合わせは、高い設計・工作精度を示しています。  発煙弾発射器です。
 誘導輪やキャタピラの外側と内側にはゴムが貼り付けられています。
 約38tの重量は、アスファルト路面にキャタピラの跡を残していくので、消耗が早そうに見えます。
 車体前面です。
 圧延鋼鈑を溶接した跡が見られます。
 予備履帯とワイヤーが取り付けられています。
 操縦席です。
 ペリスコープには目盛りが入っています。
 車内の写真撮影は禁止されていました。
 操縦席のハッチや前照灯などです。
 車体左側に取り付けられた工具類です。
 その前側は収納庫になっています。
 車体後部には、体験搭乗のための乗車席が取り付けられています。
 「155mmりゅう弾砲」と「中砲けん引車」です。
 牽引状態の155mmりゅう弾砲の全長は9.8mもあり、随分と大きく見えます。
 「155mmりゅう弾砲」です。
 全備重量は約9,160kg、操作人員は9名です。
 「1・1/2t救急車」です。
 車内が公開されていました。
 体育館では、東日本大震災での災害派遣パネル展などが開催されていました。
 災害派遣での派遣隊員の食事が展示されていました。
 派遣直後の食事は、朝食と夕食が乾パン、オレンジスプレッド、缶詰(ウィンナーソーセージ)、昼食が缶詰(白飯、鶏肉野菜煮、副食)です。
 肉体労働に従事するには乏しい食事です。
 震災発生から約2週間後の3月25日ころからの食事です。
 朝食は市販のパン1個、昼食は乾パン、オレンジスプレッド、缶詰(ウィンナーソーセージ)、夕食は白飯と味噌汁です。
 震災発生から23日後の4月3日ころからの食事です。
 朝食は白飯と味噌汁、昼食はパックご飯(パエリア)、夕食はパックご飯とレトルトカレーです。
 震災発生から27日後の4月7日ころからの食事です。
 この頃になって、ようやく食事らしくなります。
 朝食と夕食は白飯、味噌汁、菜食、おかず、漬物、昼食はパックご飯です。
 4月7日ころから夕食です。
 寒い中で温かい食事は摂れたのだろうかと思います。
 個人用レスキューリュックです。
 人命救助用の個人携行装具がセットされています。
 宿営用天幕です。
 派遣隊員が宿泊していた様子が再現されていました。
 宿営用天幕内の簡易ベッドと寝袋です。
 雨雪は凌ぐことはできても、3月の寒さは厳しく身に凍みると思います。
 第44普通科連隊本部が再現されていました。  左側はFAX、右側は無線機です。
 FAXは市販の物と異なり、プラスチック製部品が少なく、堅牢に作られています。
 野外電話機(JTA-T11-B)です。  行方不明者捜索時の装備を再現していました。
 野外入浴セットを使用して足湯が行われていました。
 土湯温泉の源泉から、温泉水を運んできたと言うことです。
 福島駐屯地内にある資料館「防衛館」も見てきました。
 防衛館の前には、退役した戦車やヘリコプターが展示されています。
 戦後初の国産開発戦車「61式戦車」です。  幸いにして実戦で砲火を交えることなく専守防衛の役割を果たし、現在は子供の遊び道具となって余生を過ごしています。
 砲塔上部です。
 当時の日本は、戦車の開発技術が立ち後れていたため、外見上の装備や配置だけを見ても、精練されたものとは言い難いです。
 「74式戦車」も展示されていました。
 「105mmりゅう弾砲」です。
 自衛隊には、アメリカ軍から供与されたものと、国内でコピー生産したものが配備されていました。
 この砲はアメリカ軍から供与されたものです。
 重量が2.3tと小型軽量なので機動性に優れ、発射速度、弾丸効力、射撃精度も良好で、普通科連隊の直接支援火砲として配備されていました。
 発射速度は最初の30秒で4発、最初の10分で30発です。
 観測ヘリコプター「OH-6D」です。  多用途ヘリコプター「UH-1B」です。
 防衛館の建物です。
 平日には一般公開されているので、駐屯地祭開催日以外でも見学することができます。
 展示フロアの1室です。
 第44普通科連隊は、会津若松市に駐屯していた陸軍歩兵第29連隊の伝統を受け継いでいます。
 第29連隊の当時の資料や、福島駐屯地部隊のイラク派遣などの資料が展示されています。
 軍刀も様々です。
 写真の上から4本は旧日本軍のもので、その下はロシア軍や支那軍の銃剣です。
 ソビエト軍の対戦車ライフル「PTRS1941」です。
 貫通力は、距離500mで20mm、100mで30mmと言われており、日本軍の戦車には驚異となりました。
写真上「38式騎銃」、写真下「44式騎銃」
 写真左前:89式重擲弾筒の空薬莢
 写真中央:双眼鏡
 写真右側:防毒マスク
 写真左上「競技用5.6mmフリーピストル」、写真中央上「11.4mm拳銃」、写真右上「信号拳銃」、写真下「89式5.56mm小銃」
 写真下「62式7.62mm機関銃」  飯盒、水筒、背嚢などです。
 日露戦争当時の乾パンです。  軍服も展示されていました。
 74式戦車の体験搭乗です。
 乗車直後なので、車高を下げています。
 74式戦車の体験搭乗は1両で行われました。
 非常に混雑していたので、プレミアムチケットになりました。
 720馬力のディーゼルエンジンが轟音を響かせ、地面を震動させて走行して行きます。  軽装甲機動車と高機動車の乗車場所です。
 こちらは数台で行われたので、体験搭乗券を入手することができました。
 軽装甲機動車の乗車の様子です。
 乗車時の写真撮影は禁止されていました。
 こちらは高機動車の乗車の様子です。
 軽装甲機動車と高機動車の走行の様子です。
 軽装甲機動車に試乗しましたが、貴重な体験ができました。
 体験乗車した後、乗車証明書を頂きました。
 残念ながら74式戦車には乗れませんでしたが、軽装甲機動車の上部ハッチから身を乗り出して乗車することができました。